はじめまして、ぼたもちです。
今日、僕はこの場所で、一つの壮大な実験を始めることを宣言します。
その名も『ナマケモノの未来工房』。
これは、AI時代の荒波を乗りこなし、未来の自分を楽にするための、僕自身の挑戦の物語です。
第1章:AIがなかった頃の、僕の働き方

僕はどこにでもいる地方の政令指定都市でも、県庁所在地でもないところに住む普通の会社員です。
勤める会社は、数年ごとに全く違う部署へ異動になるのが通例。
それは安定と引き換えに、何か一つのスキルを突き詰めることを許されない働き方でもありました。
「この仕事は、自分じゃなくてもできるな…」
そんな思いを抱えながらも、評価は良くも悪くも横並び。減給はない代わりに、大きな昇給もない。
朝、オフィスに出勤して自分の時間を切り売りし、家に帰れば家事と育児に追われ、気づけば眠りにつく毎日。
将来への漠然とした不安を抱えながらも、何をどう変えればいいのか分からない。
そんな、出口のないトンネルを歩いているような感覚でした。
第2章:黒船来航。AIがもたらした「驚き」と「恐怖」

そんな僕の日常に、ある日突然、黒船がやってきました。それが、AIです。
画面の前で、僕は思わず苦笑いしていました。それは純粋な「驚き」であると同時に、得体の知れない何かに対する、最初の「違和感」でした。
職場でAIの利用が許可され、ちょうど出張があった僕は、おそるおそるChatGPTに「報告書を作って」とお願いしてみました。すると、どうでしょう。僕がいつも1時間近くかけて唸りながら書いていた報告書が、数回の指示で、一瞬のうちに完成してしまったのです。
「便利だな」と思う一方で、僕の頭の片隅には、「自分の仕事が、静かにAIに代替されている」という感覚が、シミのようにこびりついていました。
10年前、野村総研が「AIに奪われる仕事」として挙げたのは、主にブルーワーカーの仕事でした。でも、現実は違った。マイクロソフトのような世界的企業で、高度な知識を持つオフィスワーカーたちがレイオフされていくニュースが、僕の違和感を、はっきりとした「恐怖」に変えたのです。
「世界トップレベルの人材ですら切られるのか。では、専門スキルを持たない自分は?」
ネットで見かけた「AIの登場で、未来は中間層からいなくなっていく」という言葉が、自分の体験と重なり、突き刺さりました。その日から、「これからどう生きていけばいいんだろう?」という思考が、頭から離れなくなったのです。
第3章:「手作業」の限界と、「自動化」という名の光

「奪われる前に、使いこなす側に回るしかない」
決意を固めた僕は、それから来る日も来る日もAIと向き合いました。日常の些細な業務、書類の構成案を作らせたり、本文を膨らませたり、データを分析するために関数を書かせる。確かに、AIは優秀なアシスタントでした。
しかし、僕の前に、新たな壁が立ちはだかりました。
毎回、同じようなプロンプト(指示文)をAIに打ち込む作業。保存しておいたプロンプトをコピー&ペーストする、その一手間。
「面倒くさい」
心の底からそう思いました。AIに命令しているはずの自分が、結局はPCの前で同じ作業を繰り返している。これでは、オフィスで時間を切り売りしていた頃と、本質的に何も変わらない。「AIを使う僕」という、新しい「作業員」になっているだけじゃないか。
その瞬間に、僕が本当にやるべきことが見えたのです。
僕がやるべきことは、AIに命令することじゃない。AIに、AIへの命令を「自動で」させる仕組みを作ることだ。
この「自動化」という思考に至った時、恐怖の対象だったAIが、初めて僕の手に収まる「道具」に変わるような気がしました。
そんなある日、何気なく観ていたスパイダーマンの映画が、その考えが間違っていなかったと教えてくれたのです。主人公ピーター・パーカーが、AIと対話しながら、全自動で新しいスーツを作り上げていく、あのシーン。
AI + アイデア + 自動化の仕組み
これらを組み合わせれば、僕のような特別なスキルがない人間でも、何か新しい価値を生み出す「スーツ」を、自分だけの「工房」で作れる。そう確信しました。
第4章:僕が「ナマケモノの未来工房」で作りたいもの

僕がこの工房で作りたいのは、単なるキャッシュマシーンではありません。
僕が本当に作りたいのは、その先にある「未来の時間」と「心の平穏」です。
夜、家に帰ってからPCを開くことなく、妻に「お迎え、代わろうか?」と言える余裕。
「この会社に依存しなくても、僕には自分の工房がある」と思える、精神的な安心感。
そして、これからの世界で通用するスキルを身につけているという、確かな自信。
それが、僕の理想の未来の風景です。
これが、僕がこの工房を立ち上げた理由のすべてです。
この挑戦は、きっと失敗の連続でしょう。でも、そのすべてを記録していくことに意味があると信じてて、います。
もしよろしければ、あなたもこの「壮大な自由研究」の目撃者になってくれませんか?
これから、どうぞよろしくお願いします。